2006/05/05 6抜刀


秋葉原にやっとスタバができました。UDX5Fです。
これでエクセルシオールでコーヒー飲むのも終わりです。
エクセルシオールでは、メニューにアメリカンが無いですが、
アメリカンと言うと、ちゃんと出してくれました。
本日のコーヒーを薄めに入れたものを出してくれました。
でも、土日はやっていないので注意。土日だけはエクセルシオールです。

そう言えば、スタバはなんか嫌いと言う友人が居ます。
僕はその友人と仲がいいです。

あ、スタバはなんか嫌いというのと、サブカルがなんか嫌いというのと、
オルタナがなんか嫌いというのとは、似てますね。
なんかそういう言葉を使って得意になっている奴がムカつくんですよね。
得意になっている人も、それが嫌いな人も、
その単語について得意になるということに価値を見い出しているのかもしれませんね。
仲良いですね。コーヒーが美味しいかどうかなんてそっちのけでチチクリ合っている。
スタバ是非。サブカル是非。オルタナ是非。というテーブルが並んで満席になっている。

個人的には、それらの言葉が好きと言う人も嫌いと言う人も、
それしか考えられないのがつまらないです。(退屈です)
例えば、スタバが好きだと言っているけど、飲んでる最中常に機嫌が悪いとか、
スタバが嫌いだと言っているけど、無理に連れて行くとやけに機嫌が良いとか、
そういうのが素敵だと、なんとなく思います。
信じているものを颯爽と裏切ったり、自分を信じなかったり、しかもそういう人が、長生きしたりして。

オルタナがなんか嫌いと言う友人も発見しています。
僕がオルタナという言葉好きの役をやってもいいし、友人がそれになって、僕は嫌い側に回ってもいい。

でもその対立を解決して統合してしまうわけではない。
矛盾点を突いちゃうと、ハッとして、そのときは「私はそうは思わないな」とか言うのだけれど、
あとでこっそり反省しちゃうので(そういうのも好きですが)、矛盾点は突きません。
メチャクチャと思われる理論で「今を生きている」女の子も、その子から面白いものが生み出され続けている限り、
ホットでキッチュな矛盾点は大事にして、カラオケで歌ってほしい。
いつか万能感がコナゴナになって、サムイことを言うようになるまでは。

進もうとしか考えられない人とか、戻ろうとしか考えられない人とか、
上ろうとしか考えられない人とか、下ろうとしか考えられない人とか、
そういう人は既に死んでいるような気もしないでもないです。

そして、その自由な人間と僕の間にある相対的なナンセンスが真に対立して、
少し話し合ってから、相手がそれを許せずに真実の瞬間に斬りかかって来た時、
相手の精神世界を認めつつ、先に抜刀して斬り殺し、残心することが、人の間だと思います。

そうすれば2人とも、無理矢理従わされているこの世界の法則に、縛られていないことになります。



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