2002/05/29 16appearance


有限の大きさを持つモノが、いつのまにかタマシイと呼べる機構となっていることに注目したい。
精神的、物理的というものが、本質的には区別無く、同じものを指すんじゃないかなと、僕は思う。

僕の世界の原点は、確かに「ここ」にある。しかしその原点は点ではない。
僕のタマシイと呼べる機構には広がりがある。
決して、生まれる前に神様が一つずつ、頭の中にタマシイの核を入れてくれているわけではない。と思う。

僕は小さい頃から、僕の脳の中で、手や足と同じように実に機械的な個所を除き、
更に重要な部分はどこであるか考えてみるために目を閉じてみたりしていた。

今考えると滑稽だけれども、あながち馬鹿にはできない。
記憶の単位が交流する所に僕は「僕」を感じている。

人間も非常に単純だと思うようなことがあると、ますます汎心論的な考えになる。

汎心論:panpsychism:形而上学的観念論の一つであり、自然のあらゆる存在には心があるとする説。
参考:ライプニッツ、単子(モナド)



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